ベトナム 中南部のビーチリゾート、クイニョンのすぐ横にアンニョンという街があるの、皆さんご存知でしょうか。水田が広がる 穀倉地帯として有名で、実はベトナムの歴史で重要な舞台となっている町でもあります。
そんな 隠れた魅力ある街 アンニョン観光の見どころをご紹介します!
(クイニョンについてはこちらに書きました)
ダナンからアンニョンまでは300km!
Gemini統合がガンですねー
今回は近場のアンニョンへ数日の予定でいつもより時間の余裕があり、以前から気になっていた場所へ何箇所か立ち寄りながらのバイク旅です。
クアンガイの絶景岬
最初に立ち寄ったのは クアンガイの灯台のある岬で素晴らしい絶景が広がっていました。 ベトナムの海岸線は本当に綺麗です✨
この岬には灯台基地があり、そのため道などが整備されているようです。
基地の前にはカフェ。ベトナムはカフェだらけですね。
この先には整備中の岬先端への通路があるのですが、
おじさん達:「どっからきたの?」
わし:「日本から!」
おじさん達:「そうか!せっかくだからこっちも見ていきなさい」
と奥の岸壁まで通してくださいました。
太陽が雲間に隠れて良い色で撮れず残念…また来るよ!
建設中の謎なお寺
バイクで走っていて遠くからでもそれとわかる、巨大な仏像のあるお寺に立ち寄り。
来てみるとまだ建設中でしたが、観光バスが立ち寄っていたので便乗してお邪魔しました。
超巨大なお堂は外観は完成してるのですが 扉は全て閉じられていました。
ベトナム 中南部でバイク旅すると何気に上がる要素は巨岩です🗿
こちらの岩はラオス側の山の上からコンニチワしてました。全体でどのぐらいのサイズなのか気になります。
近くにはベトナム南北鉄道の線路が走っていました。
調子乗りすぎ、太陽が傾いてまいりました🕞️。これはまずい…💦
いやほんと 景色が良くてついつい立ち止まって写真を撮りたくなってしまいます💦
日が傾いてくると旅情マシマシ景色になり最高なんですよね…📷️😅
慌ててホテルを探すも、結局 暗くなってからのチェックイン。アンニョン観光できず!!🙃
到着すると、「カラオケ かな?」という見た目でちょっとビビりましたが、中は普通のローカルホテルでした。周りが田んぼなせいか、大量のヤモリがお出迎えです。ありがとうありがとう。
「いらっしゃいませ〜、アンニョーン♪」と歓迎してくれてるような気がしました。
整えます
ホテルから少し離れていましたがビアホイを発見!
当たり🎯を引いたようで、上品な空芯菜が出てきました。クイニョンといい、中部南部の新興都市はハノイからの移民が多いせいか、飲食店のレベルが良いのも魅力です。
アンニョン観光
前振りが無駄に長くてすみません🙇♂️💦
アンニョンにある主なチャンパ遺跡は⭐️の場所です。
画像右下バンイットチャム寺院は幹線道路沿いで何度か訪れいているので今回はそれ以外の各所を巡ります。
(バンイットは中でも一番壮大で管理も行き届いているのでオススメです。)
5時起床。
初日に予定が消化できなかったので早朝からスタートです。
まずは ホテルの近くにたまたまあった 史跡を訪れます。
① 「ゴーチャム市場(Chợ Gò Chàm)」の跡地
この場所は地域で有名な市場と処刑場があったということで 史跡 認定されて このような説明板が設置されています。
19世紀後半の仏領インドシナ初期、ベトナム中部では国王の密勅を奉じてフランス軍と戦う「勤王運動 (Cần Vương)」が展開され、ビンディン省一帯で抗仏義軍を率いていた指導者マイ・スアン・トゥオン (Mai Xuân Thưởng)がいました。
1887年4月、義軍の拠点であったカンホ (Hầm Hô) などが陥落し、マイ・スアン・トゥオンらは逮捕されてしまいます。
フランス植民地当局と傀儡政権(フエのグエン朝)は、捕らえた指導者たちの影響力を完全に断ち切るため、多くの住民が集まる見せしめの場所として当時のGò Chàm市場の敷地を臨時の法場 (処刑場)に指定しました。
1887年6月、マイ・スアン・トゥオンを含む主要な首脳陣および多数の義軍兵士がこの市場の敷地において斬首刑に処されました。当時の市場という空間が選ばれたのは、多くの民衆や関係者の面前で処刑を実行することで、反フランス蜂起の気運や抵抗運動を物理的・心理的に抑え込む狙いがあったため、と考えられています。
この事件のように、グエン朝の宮廷官僚や軍隊、そして皇帝がフランスの下僕となっていたので、現在でもグエン朝は人気がありません。また、フエの王宮や皇帝陵墓も重税で作られているため現在に至るまで 評判はよくありません。
このあたりは革命や共和制への移行がなく近代=現代になってしまった日本人にはあまりピンとこない感覚かもしれません。
チャンパ遺跡群へ!
トップバッターはなかなか ヘビーでしたが ここからが本番です。
ここアンニョンには多くのヒンズー教🛕のチャンパ王国時代の遺跡があります。チャンパ王国は2世紀末から17世紀(19世紀前半に完全消滅)にかけて、現在のベトナム中南部を中心に栄えたオーストロネシア系のチャム人による港市国家・海洋交易王国です。東ローマ帝国の狭い意味での存続期間は1123年と最長記録の1つになっていますが、チャンパ王国は実に1640年も存続しています。この期間にはモンゴル帝国、ペスト、そして中華帝国が隣とピンチは何度となくあったはずなので驚異的と言えます。
また、海洋国なのでランドパワーが低いこどころか、この地で育まれた「チャンパ米(中国名:占城米)」は人類史を変えています。 宋に伝わり人口を爆発させ1億人という前人未到の巨大国家が爆誕したのですから。 チャンパ王国は学校ではあまり教えていないけど、実は世界史には欠かせない偉大な長寿国だったのです。
上と下の画像は宿泊していた場所の通りから遠くに見えた遺跡で、なかなか風情がありました。これから見に行くから、待ってろよ〜ん
② 山の上のフーロック塔
早朝の涼しい家に一番 アクセスが大変そうな小山の上の遺跡を目指します。
スマホの望遠で撮っていますが遠くからでもかなり目立っていました。
入口が見つからない!
山の周辺は 民家が連なって行って 登山口の ようなものが見つかりません。ここかな?と高台のあるお寺にお邪魔しましたが 裏側はコンクリートで固められていて 上には登れませんでした💦
寺の裏手の高台からの絶景!
その後も側道に入り込んでは行き止まり、傾斜面にある墓地などに阻まれ、現地の人たちに聞いても、海外あるあるな「知らないのに知ってるように言い張る嘘」を教えてくれて、迷いに迷いました。
Google mapsにはアクセスあるようなコメントがあったんですけどね⋯。
が 、ついに活路が。若い男女 ならデートで山の上に行ったことがあるばず!と狙いを定めて聞くと 案の定 ご存知でした。民家の間を抜けて登っていくルートを教えていただき ついに到着。
バイクで上がれるところまで近づき、あとは徒歩で登っていきます。
せっかく早く出たのに気温がぐんぐん上がってきました。暑いのは嫌だ〜。
いた〜!日が出てきて 暑い!💦
崩れかかっている階段を上がります。
じゃーーーん!
それほど高くない小山の上ですが風がすごい!そう言えば隣のクイニョンは風力発電塔たたくさんありました。塔がボロボロな理由がわかった気がします。
先ほど見たゴーチャム史跡と同じような説明板がありGoogleレンズのお世話に。
頂上からの景色もなかなかです
③ 妖精の羽の塔
先ほど 田んぼ 越しに見つけた 遺跡に向かいます。こちらは平地に立っているので簡単にアクセスができました。
ダート道をすすみ、途中で野犬に追いかけられたりしてちょっと怖かったですが大丈夫です🐕️
こちらにも文化史跡の板があり解説付きです。
どれどれ 妖精の羽?
んー、なるほど!
下の方は修復が進んでいてアートっぽくなっていました。
頂上はすでに崩落して穴が空いている状態。
これ、もしかして危険なのででは⋯😅
写真を撮っていると 地元の方が来て こうやってお祈りするのよ って教えてくれました。
塔の周辺にはライトアップ設備もあり、色々 ちゃんとしてるなと思ったら ドイツがお金を出してくれてることが大きいようです。
見終わった後で正面玄関を発見。おばちゃんがどこからともなく現れたと思ったらこっから入ってきたのね。裏口入学ですいませんでした。
④ ホアンデ要塞
ホアンデ要塞跡とチャンパ王国の遺物がある場所です。
この地は11世紀から15世紀にかけてチャンパ王国の首都ヴィジャヤとして栄え、数多くのチャム文化が花開きました。 その面影を感じることが出来る象の彫刻と要塞跡地が史跡となっています。
要塞跡地
この遺跡がユニークなのは、「古代チャム族のヒンドゥー教王国の都」としての顔と、「ベトナムの農民革命から生まれたタイソン朝の首都」、2つの顔がある点で、ベトナム政府は史跡を観光資源にする方向のようですが、この一帯が史跡として意識されたのは最近のようで、近隣に多くの住宅が建ち登記もされているのに「史跡なので掘れない・再建築不可」という「遺跡あるある問題」も勃発し話題となっています。
現在の状態はチャンパ王国後、タイソン(西山)朝の初代皇帝グエン・ニャック(阮岳)がこの地を首都とした際、元のチャンパ王国の城壁(ドバン城)をベースに大幅な拡張工事を行ったあとなのでベトナム風です。
三日月の池はチャンパ王国からのものだとか
ビンディン省にあるクイニョン(帰仁)は18世紀に 西山朝(タイソン朝) を興した阮文岳・阮文呂・阮文恵のタイソン(西山)三兄弟が蜂起し、拠点(皇帝城)を置いたゆかりの地で、アンニョン市街地の西にタイソン博物館があります。(タイソン博物館はこちらに書きました)
ベトナム史上最も激しい内戦の一つである「タイソン朝」と、のちにフエを首都にする「グエン(阮)朝」の戦いの舞台となるなど、繰り返しベトナム史の大舞台となった場所です。
1799年、グエン・アイン(のちの嘉隆帝)率いるグエン軍が、タイソン朝の重要拠点だったこの要塞を包囲・攻略し「ビンディン城」と改名、名将・武性を守備に就かせました。しかし翌年、タイソン軍が猛反撃に出て要塞を完全に包囲。兵糧が尽きた武性将軍は、城内の兵士たちの命を救う条件として降伏を受け入れ、自らは要塞の塔に薪を積み、火を放って自決したと言います。
こちらは入ることができなかったので写真は柵の間から撮ったものです。
発掘調査も行われているそうで、近い将来に出土品諸々と一緒に要塞内部に立ち入り見学できる日が来るかもしいません。
朝ごはん!
ホテルに戻りチェックアウトすて次の遺跡(ちょっと離れている)に行く予定ですが、戻る途中でいい匂いがしたので屋台を見ると見たこと無い白いバインセオ?を食べている人たちが。たまらず吸い込まれます。
周りにいる人達のマネをして食べてみると…うーーーっまい!
米粉のクレープのようですが、目玉焼きの白身の部分っぽい味わい+ちょっと酸っぱい早取りマンゴーとからし菜?を巻いて魚醤ベースのタレでいただきます😋
屋台があったのはアンニョン市街地の中心だったようで、ヤマハとホンダが阿吽の像のごとく仁王立ちで市民の生活の足を提供していました
写真を撮りながらロータリー交差点をズリズリ移動していると、コーヒーの良い匂いが⋯。振り向くと美人さん運営のコーヒー屋台がめの前に。たまらず吸い込まれます(2度目)
ダブルエスプレッソでアイスコーヒーをお願いしたら、ちゃんと対応してくれおまけにジンジャー?茶もくれました。アンニョンは良い街です⋯。
アンニョン市中心から西のチャンパ遺跡塔へ
途中、負の遺産な史跡…
かなり重たい事件のものだったので後日別にm(_ _)m
⑤ ズオンロン塔
修復中の3つの塔は12世紀末から13世紀初頭に建てられ、東南アジアで最も高いレンガ造りのチャム塔群として知られています。
中央塔(約39m)、南塔(約33m)、北塔(約32m)の3基のレンガ塔はクメール建築の影響を受けた山岳寺院風の配置とされています。
残念ながら修復工事中で真ん中の塔はあまり良く見れませんでした。
様々な様式・デザインが消えてしまったり、現在のベトナムに取り込まれたんだろうな? なんて思いました。
お米の収穫シーズンらしい
ここまで、距離的にはそんなに長くなかったのですがアンニョンはお米の収穫時期なようで道路のあちこちで稲の天日干しをしていました。バイクなので避けられますが、旅程が捗らず〜。
最後の1つは民家の中に!
⑥ ビンラム塔
じゃ~ん、ビンラムタワーです。これまでの違い、直線や数学的な曲線で構成される幾何学的な美しさのある様式です。
基部周辺は補修が進んでいてスペードマーク型の装飾は真新しいアウトラインです。
民家の前にこれは中々の威圧感w
臭くてヤバかった祠の中
足を踏み入れると即退散し「オェェ🤮」ってなるくらい臭かった祠の中には小動物が住み着いているようです。キーキー言っていたのでコウモリでしょうか?
アンニョンツアー、如何でしたでしょうか。定番のベトナム観光はもう飽きた!という方にもオススメなクイニョンからすぐ近くにあるアンニョン、遺跡や田んぼ好きなら楽しめると思いますのでご興味ある方は是非!
ベトナムとチャンパ王国
ベトナム政府はチャンパ王国との歴史を、武力征服ではなく「婚姻を通じた平和的統合」として強調し芸術作品などを通じてコンセンサスを図っています。ベトナムは54の民族を抱える多民族国家でチャム族や共通の文化を持つクメールも現在のベトナムを構成する少数民族なので、平和的なプロセスであったと位置づけています。 下の動画はホイアンで上演されているホイアンメモリーズのチャンパの国王と大越の王女の婚姻シーンで、両者の関係をロマンチックなものとして伝えています。
ありがとうWinnerX
行きも帰りも39〜40度、熱風ドライヤーの中を走っているようなコンディションでしたが、道路に点在するココナツウォーター屋台に助けられ、往復650kmを無事に帰還できました。
今回も無事故、無故障で低燃費なWinner Xが大活躍。本当に良いバイクです。



































