ダナンで開発日誌(ホーチミン滞在記(旧ハノイ滞在記

ホーチミンでの生活その他 (ハノイに行くまで、行ってから、これから。

アンニョン・史跡ツアー

ベトナム 中南部のビーチリゾート、クイニョンのすぐ横にアンニョンという街があるの、皆さんご存知でしょうか。水田が広がる 穀倉地帯として有名で、実はベトナムの歴史で重要な舞台となっている町でもあります。
そんな 隠れた魅力ある街 アンニョン観光の見どころをご紹介します!

(クイニョンについてはこちらに書きました)

ダナンからアンニョンまでは300km!

画像
今回もバグりまくりのgoogle maps 
Gemini統合がガンですねー

今回は近場のアンニョンへ数日の予定でいつもより時間の余裕があり、以前から気になっていた場所へ何箇所か立ち寄りながらのバイク旅です。

クアンガイの絶景岬

画像
画像

最初に立ち寄ったのは クアンガイの灯台のある岬で素晴らしい絶景が広がっていました。 ベトナムの海岸線は本当に綺麗です✨

画像
赤や白、ピンク色のブーゲンビリアも咲いていてとても綺麗でした

この岬には灯台基地があり、そのため道などが整備されているようです。

画像

基地の前にはカフェ。ベトナムはカフェだらけですね。

画像

この先には整備中の岬先端への通路があるのですが、

おじさん達:「どっからきたの?」
わし:「日本から!」
おじさん達:「そうか!せっかくだからこっちも見ていきなさい」
と奥の岸壁まで通してくださいました。

画像
39度の中、マジできつい作業です

太陽が雲間に隠れて良い色で撮れず残念…また来るよ!

画像

建設中の謎なお寺

バイクで走っていて遠くからでもそれとわかる、巨大な仏像のあるお寺に立ち寄り。
来てみるとまだ建設中でしたが、観光バスが立ち寄っていたので便乗してお邪魔しました。

画像
独特のデザイン…。

超巨大なお堂は外観は完成してるのですが 扉は全て閉じられていました。

画像

ベトナム 中南部でバイク旅すると何気に上がる要素は巨岩です🗿
こちらの岩はラオス側の山の上からコンニチワしてました。全体でどのぐらいのサイズなのか気になります。

画像

近くにはベトナム南北鉄道の線路が走っていました。

画像

調子乗りすぎ、太陽が傾いてまいりました🕞️。これはまずい…💦

画像

画像

いやほんと 景色が良くてついつい立ち止まって写真を撮りたくなってしまいます💦

画像
画像

日が傾いてくると旅情マシマシ景色になり最高なんですよね…📷️😅

画像

慌ててホテルを探すも、結局 暗くなってからのチェックイン。アンニョン観光できず!!🙃

画像

到着すると、「カラオケ かな?」という見た目でちょっとビビりましたが、中は普通のローカルホテルでした。周りが田んぼなせいか、大量のヤモリがお出迎えです。ありがとうありがとう。

画像

「いらっしゃいませ〜、アンニョーン♪」と歓迎してくれてるような気がしました。

画像

整えます

ホテルから少し離れていましたがビアホイを発見! 
当たり🎯を引いたようで、上品な空芯菜が出てきました。クイニョンといい、中部南部の新興都市はハノイからの移民が多いせいか、飲食店のレベルが良いのも魅力です。

画像
高級ホテルのレストラン仕様な空芯先炒め
画像
イカフライも絶品でございました。

アンニョン観光

前振りが無駄に長くてすみません🙇‍♂️💦

アンニョンにある主なチャンパ遺跡は⭐️の場所です。
画像右下バンイットチャム寺院は幹線道路沿いで何度か訪れいているので今回はそれ以外の各所を巡ります。

画像

(バンイットは中でも一番壮大で管理も行き届いているのでオススメです。)

画像

5時起床。

初日に予定が消化できなかったので早朝からスタートです。

画像

まずは ホテルの近くにたまたまあった 史跡を訪れます。

① 「ゴーチャム市場(Chợ Gò Chàm)」の跡地

この場所は地域で有名な市場と処刑場があったということで 史跡 認定されて このような説明板が設置されています。

19世紀後半の仏領インドシナ初期、ベトナム中部では国王の密勅を奉じてフランス軍と戦う「勤王運動 (Cần Vương)」が展開され、ビンディン省一帯で抗仏義軍を率いていた指導者マイ・スアン・トゥオン (Mai Xuân Thưởng)がいました。

​1887年4月、義軍の拠点であったカンホ (Hầm Hô) などが陥落し、マイ・スアン・トゥオンらは逮捕されてしまいます。

​フランス植民地当局と傀儡政権(フエのグエン朝)は、捕らえた指導者たちの影響力を完全に断ち切るため、多くの住民が集まる見せしめの場所として当時のGò Chàm市場の敷地を臨時の法場 (処刑場)に指定しました。

​1887年6月、マイ・スアン・トゥオンを含む主要な首脳陣および多数の義軍兵士がこの市場の敷地において斬首刑に処されました。当時の市場という空間が選ばれたのは、多くの民衆や関係者の面前で処刑を実行することで、反フランス蜂起の気運や抵抗運動を物理的・心理的に抑え込む狙いがあったため、と考えられています。

画像

この事件のように、グエン朝の宮廷官僚や軍隊、そして皇帝がフランスの下僕となっていたので、現在でもグエン朝は人気がありません。また、フエの王宮や皇帝陵墓も重税で作られているため現在に至るまで 評判はよくありません。
このあたりは革命や共和制への移行がなく近代=現代になってしまった日本人にはあまりピンとこない感覚かもしれません。

画像
て
画像

チャンパ遺跡群へ!

トップバッターはなかなか ヘビーでしたが ここからが本番です。
ここアンニョンには多くのヒンズー教🛕のチャンパ王国時代の遺跡があります。チャンパ王国は2世紀末から17世紀(19世紀前半に完全消滅)にかけて、現在のベトナム中南部を中心に栄えたオーストロネシア系のチャム人による港市国家・海洋交易王国です。東ローマ帝国の狭い意味での存続期間は1123年と最長記録の1つになっていますが、チャンパ王国は実に1640年も存続しています。この期間にはモンゴル帝国、ペスト、そして中華帝国が隣とピンチは何度となくあったはずなので驚異的と言えます。
 また、海洋国なのでランドパワーが低いこどころか、この地で育まれた「チャンパ米(中国名:占城米)」は人類史を変えています。 宋に伝わり人口を爆発させ1億人という前人未到の巨大国家が爆誕したのですから。  チャンパ王国は学校ではあまり教えていないけど、実は世界史には欠かせない偉大な長寿国だったのです。

画像
VIVO X200 Pro の望遠、本当にすごいです

上と下の画像は宿泊していた場所の通りから遠くに見えた遺跡で、なかなか風情がありました。これから見に行くから、待ってろよ〜ん

画像

② 山の上のフーロック塔

早朝の涼しい家に一番 アクセスが大変そうな小山の上の遺跡を目指します。

画像

スマホの望遠で撮っていますが遠くからでもかなり目立っていました。

入口が見つからない!

山の周辺は 民家が連なって行って 登山口の ようなものが見つかりません。ここかな?と高台のあるお寺にお邪魔しましたが 裏側はコンクリートで固められていて 上には登れませんでした💦

画像

寺の裏手の高台からの絶景!

画像

その後も側道に入り込んでは行き止まり、傾斜面にある墓地などに阻まれ、現地の人たちに聞いても、海外あるあるな「知らないのに知ってるように言い張る嘘」を教えてくれて、迷いに迷いました。

画像
お墓でてくると下がる〜。

Google mapsにはアクセスあるようなコメントがあったんですけどね⋯。

が 、ついに活路が。若い男女 ならデートで山の上に行ったことがあるばず!と狙いを定めて聞くと 案の定 ご存知でした。民家の間を抜けて登っていくルートを教えていただき ついに到着。

画像

バイクで上がれるところまで近づき、あとは徒歩で登っていきます。
せっかく早く出たのに気温がぐんぐん上がってきました。暑いのは嫌だ〜。

画像

いた〜!日が出てきて 暑い!💦

画像

崩れかかっている階段を上がります。

画像

じゃーーーん!

画像

それほど高くない小山の上ですが風がすごい!そう言えば隣のクイニョンは風力発電塔たたくさんありました。塔がボロボロな理由がわかった気がします。

先ほど見たゴーチャム史跡と同じような説明板がありGoogleレンズのお世話に。

画像

頂上からの景色もなかなかです

画像

③ 妖精の羽の塔

先ほど 田んぼ 越しに見つけた 遺跡に向かいます。こちらは平地に立っているので簡単にアクセスができました。

ダート道をすすみ、途中で野犬に追いかけられたりしてちょっと怖かったですが大丈夫です🐕️

画像

こちらにも文化史跡の板があり解説付きです。

画像
画像
かっけー!

どれどれ 妖精の羽?
んー、なるほど!

画像

下の方は修復が進んでいてアートっぽくなっていました。

画像

頂上はすでに崩落して穴が空いている状態。
これ、もしかして危険なのででは⋯😅

画像
画像

写真を撮っていると 地元の方が来て こうやってお祈りするのよ って教えてくれました。

画像

塔の周辺にはライトアップ設備もあり、色々 ちゃんとしてるなと思ったら ドイツがお金を出してくれてることが大きいようです。

画像
画像

見終わった後で正面玄関を発見。おばちゃんがどこからともなく現れたと思ったらこっから入ってきたのね。裏口入学ですいませんでした。

④ ホアンデ要塞

ホアンデ要塞跡とチャンパ王国の遺物がある場所です。
この地は11世紀から15世紀にかけてチャンパ王国の首都ヴィジャヤとして栄え、数多くのチャム文化が花開きました。 その面影を感じることが出来る象の彫刻と要塞跡地が史跡となっています。

画像
画像

要塞跡地

この遺跡がユニークなのは、「古代チャム族のヒンドゥー教王国の都」としての顔と、「ベトナムの農民革命から生まれたタイソン朝の首都」、2つの顔がある点で、ベトナム政府は史跡を観光資源にする方向のようですが、この一帯が史跡として意識されたのは最近のようで、近隣に多くの住宅が建ち登記もされているのに「史跡なので掘れない・再建築不可」という「遺跡あるある問題」も勃発し話題となっています。

画像

現在の状態はチャンパ王国後、タイソン(西山)朝の初代皇帝グエン・ニャック(阮岳)がこの地を首都とした際、元のチャンパ王国の城壁(ドバン城)をベースに大幅な拡張工事を行ったあとなのでベトナム風です。

画像
タイソン博物館にあったタイソン朝時代の想像図。
三日月の池はチャンパ王国からのものだとか

ビンディン省にあるクイニョン(帰仁)は18世紀に 西山朝(タイソン朝) を興した阮文岳・阮文呂・阮文恵のタイソン(西山)三兄弟が蜂起し、拠点(皇帝城)を置いたゆかりの地で、アンニョン市街地の西にタイソン博物館があります。(タイソン博物館はこちらに書きました)

ベトナム史上最も激しい内戦の一つである「タイソン朝」と、のちにフエを首都にする「グエン(阮)朝」の戦いの舞台となるなど、繰り返しベトナム史の大舞台となった場所です。

1799年、グエン・アイン(のちの嘉隆帝)率いるグエン軍が、タイソン朝の重要拠点だったこの要塞を包囲・攻略し「ビンディン城」と改名、名将・武性を守備に就かせました。しかし翌年、タイソン軍が猛反撃に出て要塞を完全に包囲。兵糧が尽きた武性将軍は、城内の兵士たちの命を救う条件として降伏を受け入れ、自らは要塞の塔に薪を積み、火を放って自決したと言います。

画像

こちらは入ることができなかったので写真は柵の間から撮ったものです。
発掘調査も行われているそうで、近い将来に出土品諸々と一緒に要塞内部に立ち入り見学できる日が来るかもしいません。

画像

朝ごはん!

ホテルに戻りチェックアウトすて次の遺跡(ちょっと離れている)に行く予定ですが、戻る途中でいい匂いがしたので屋台を見ると見たこと無い白いバインセオ?を食べている人たちが。たまらず吸い込まれます。

画像

周りにいる人達のマネをして食べてみると…うーーーっまい!
米粉のクレープのようですが、目玉焼きの白身の部分っぽい味わい+ちょっと酸っぱい早取りマンゴーとからし菜?を巻いて魚醤ベースのタレでいただきます😋

画像
これで1万ドン(60円)は安すぎますよ。。。

屋台があったのはアンニョン市街地の中心だったようで、ヤマハとホンダが阿吽の像のごとく仁王立ちで市民の生活の足を提供していました

画像

写真を撮りながらロータリー交差点をズリズリ移動していると、コーヒーの良い匂いが⋯。振り向くと美人さん運営のコーヒー屋台がめの前に。たまらず吸い込まれます(2度目)
ダブルエスプレッソでアイスコーヒーをお願いしたら、ちゃんと対応してくれおまけにジンジャー?茶もくれました。アンニョンは良い街です⋯。

画像

アンニョン市中心から西のチャンパ遺跡塔へ

画像

途中、負の遺産な史跡…

かなり重たい事件のものだったので後日別にm(_ _)m

画像

⑤ ズオンロン塔

修復中の3つの塔は12世紀末から13世紀初頭に建てられ、東南アジアで最も高いレンガ造りのチャム塔群として知られています。

画像

中央塔(約39m)、南塔(約33m)、北塔(約32m)の3基のレンガ塔はクメール建築の影響を受けた山岳寺院風の配置とされています。

画像

残念ながら修復工事中で真ん中の塔はあまり良く見れませんでした。

画像
画像
画像

様々な様式・デザインが消えてしまったり、現在のベトナムに取り込まれたんだろうな? なんて思いました。

画像

お米の収穫シーズンらしい

ここまで、距離的にはそんなに長くなかったのですがアンニョンはお米の収穫時期なようで道路のあちこちで稲の天日干しをしていました。バイクなので避けられますが、旅程が捗らず〜。

画像
画像

最後の1つは民家の中に!

画像
おお。通り過ぎるところでした😅

⑥ ビンラム塔

じゃ~ん、ビンラムタワーです。これまでの違い、直線や数学的な曲線で構成される幾何学的な美しさのある様式です。

画像

基部周辺は補修が進んでいてスペードマーク型の装飾は真新しいアウトラインです。

画像
画像

民家の前にこれは中々の威圧感w

画像
画像

臭くてヤバかった祠の中

足を踏み入れると即退散し「オェェ🤮」ってなるくらい臭かった祠の中には小動物が住み着いているようです。キーキー言っていたのでコウモリでしょうか?

画像

アンニョンツアー、如何でしたでしょうか。定番のベトナム観光はもう飽きた!という方にもオススメなクイニョンからすぐ近くにあるアンニョン、遺跡や田んぼ好きなら楽しめると思いますのでご興味ある方は是非!

ベトナムとチャンパ王国

ベトナム政府はチャンパ王国との歴史を、武力征服ではなく「婚姻を通じた平和的統合」として強調し芸術作品などを通じてコンセンサスを図っています。ベトナムは54の民族を抱える多民族国家でチャム族や共通の文化を持つクメールも現在のベトナムを構成する少数民族なので、平和的なプロセスであったと位置づけています。 下の動画はホイアンで上演されているホイアンメモリーズのチャンパの国王と大越の王女の婚姻シーンで、両者の関係をロマンチックなものとして伝えています。

ありがとうWinnerX

行きも帰りも39〜40度、熱風ドライヤーの中を走っているようなコンディションでしたが、道路に点在するココナツウォーター屋台に助けられ、往復650kmを無事に帰還できました。

画像
画像
画像


今回も無事故、無故障で低燃費なWinner Xが大活躍。本当に良いバイクです。

画像

人類の負の遺産 ゴダイの大虐殺

アンニョン観光の番外編です。
(暗い話で生活の役にも立たないので苦手な方はアンニョン編にお回りください🙏)

ツーリングのルート確認中に Google Mapsで史跡マークを見つけて立ち寄ったのがこの記念碑エリアです。クイニョンからの位置関係はこんな。

画像

この事件については日本語で検索しても殆ど情報がなく記念碑のあるアンニョン自体も情報が少ないのですが、次の目的のすぐ近くなこともあり立ち寄ることにしました。

画像
アンニョンはとても美しい田園が広がる地域です。

記念エリアに到着

このゲートの横に「この先にOOがあります」的な標識がありました。

画像

入口。ゲートが閉まっております⋯。

画像

鉄の門から中を覗くと、電話番号が木にかかっておりました。

画像

が、奥に管理のおばちゃんがいたので声をかけると、横の門を指さすのでダメ元で押すと⋯開きました! ゼルダをプレイしているようだ。

画像

記念碑。

画像

たくさんの名前が刻まれています。

画像

門の前から見た全体の様子

画像
画像
きれいだけど物悲しい蓮の花

記念館の展示

画像

1966年2月23日から26日にかけて、旧ビンアン村(現在のタイソン県タイビン、タイビン、タイアン村、およびアンニョン町ニョンフック、ニョンミー、ニョンハウ村)で、1,004人以上の罪のない民間人が韓国の傭兵によって殺害された。1966年2月26日のわずか1時間で、ゴダイ村では380人以上の民間人が殺害され、1,925軒の家屋が破壊された。

vnexpressの記事より
画像

展示の絵。凄惨です

画像
Thảm sát Gò Dài

「この地には過去の傷跡が今も残っており、私たちは繁栄した祖国を築くために日々努力しています。毎年、この追悼記念日は、私たちの子供や孫のために歴史的伝統を振り返り、今日の若い世代に歴史を記憶し、憎しみではなく、過去を忘れずに、過去との決別を果たすよう教える日です」と、ゴダイ虐殺の生存者の一人であり、タイビン村党委員会の元書記であるグエン・タン・ラン氏は述べた

vnexpressの記事より

事件の概要

  • 発生日時: 1966年2月26日

  • 場所: ベトナム・ビンディン省テイヴィン社(当時のテイヴィン村・ゴダイ集落、アンニョン市社およびテイソン県周辺)

  • 加害部隊: ベトナム戦争に参戦した大韓民国軍(韓国軍)

  • 犠牲者数: 約380名の罪のない村人(多くが女性、子供、高齢者) 

事件の背景と被害

作戦名目の下での惨劇:
韓国軍の作戦地域において、一般住民が武装勢力とみなされるかのように無差別に集められ、銃撃や残酷な殺害行為が行われました。

被害の大きさ:
ゴダイ集落だけでも380人が命を落とし、同時期のビンディン省(タイビン村や旧・ビンアン村など)一帯での一連の虐殺による犠牲者は合計で1,000人を超えると言われています。一帯はは現在でも田んぼばかりで人口密集地ではありません。無差別に人を集めて虐殺しただろうことは想像できます。 

画像
60年後でも田んぼばかりです

(詳しい経緯や歴史的背景については、ゴダイの虐殺のWikipedia記事で確認できます。) 

ベトナム戦争の謎と狂気

以前、ダナンの南クアンガイにあるソンミ村事件の記念碑を訪れました。こちらは米軍による虐殺で504名の尊い命が犠牲になり、写真報道されてバレたことで米国でも事件となったので有名です。驚くのはこうした残虐な事件が米軍と韓国軍それぞれ100以上もあるそうで、わかっていないものも相当数あるのではと見られていることです。

この残虐行為は殆どが南北の境界線よりもずっと南の南ベトナムのどまんなかで行われています。 朝鮮戦争のように南北で代理戦争をしている建付けなのに、自陣営であるはずの南ベトナムで100のオーダーで虐殺を行えばどうなるか。家族が一番な価値観を持ち横のつながりが広いベトナム人は国内に広くそれぞれネットワークがありますから、あっという間に噂は広まり全土が敵になるのは目に見えているので、これは本当に謎です。 

画像

共感力がある人間ならば誰でもわかることなので、実際にアジアに進軍したイギリスや日本も、この点には非常に神経質に対応して「敵を作るな」と厳しい軍令がしかれていたことは有名です。特にイギリスは狡猾で、インド支配ではインド人をできるだけ使い、怒りの矛先がインド人同士に向かうように注意をはらいました。が、米軍(とその下で働く韓国軍)では「敵殺害数」を報告させ奨励していたことが知られています。

ただ、ここで「韓国軍が悪かった」で話を終わらせるのも違うと思っています。韓国軍のベトナム派兵には徴兵された若い兵士も大量に含まれていました。朝鮮戦争の悲惨な内戦と窮乏、韓国の特殊な反共体制と軍隊の中に置かれ、縁もゆかりも無い外国の戦場に送り込まれた側です。韓国の兵役は厳しいことで知られ、実はダナンに訪れる韓国人の方々と話すと、その経験から心に傷を負っている人が少なくないのです。noteしたのも惡人を作るのが趣旨ではないのでご了承ください。

画像
(当時の地図。大虐殺の多くは南北境界線よりずっとずっと南の中南部で起きています)

(9月にはベトナムに派兵された兵士の虐殺の告白と苦しみを描いた「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」が上映されるそうです。ベトナムでは公開されなさそうですが。)

もう1つの真実、日本が派兵を免れた理由

ベトナム戦争当時の日本のトップは 佐藤栄作が1964~1972年、田中角栄が1972~1974年です。 米国は派兵を迫りましたが、佐藤栄作は憲法を理由に派兵を断りつつ沖縄基地の使用は渋々認め、続く田中角栄も派兵を断っています。

この二人が派兵をのんだ場合、自衛隊員はベトナムでベトナム人を殺す「ノルマ」を韓国同様に課せられたでしょう。1960年代は戦後から20年で日本国内もまだまだ凶悪事件が多発していたブラックな時代ですので、そうなった時に何が起きたかはわかりません。

ちなみに派兵を断った二人の首相の末路ですが、佐藤栄作は退任後すぐに脳出血で倒れ、昏睡状態のまま後に亡くなっています。 田中角栄はロッキード事件で葬られましたが、米国側の主導・条件提示で裁判が進められたことは有名です。角栄は1985年に脳こうそくで倒れ影響力を失った後に死亡、2024年には自宅も全焼しています。 

ゲリラかもしれないからヤッちゃえの欺瞞

ちょうどこれを書いているところで、国際刑事裁判所(ICC)で惡人退治に活躍されている赤根智子さんがアメリカの制裁にあり、、在米資産が凍結され逮捕状がでた、というニュースを見て驚きました。

以前にソンミ村を調べた時に、日本人の書き込みで「ゲリラの可能性があったのだから」というものがちらほら観察され、実際にそういう考え方をする人がいることを知りました。 ゲリラという単語が「悪」として認知されて「やっちゃってもヨシ!」というポンコツ反応なのは透けて見えるとしても「自分が気に入らないのでやっちゃう」という感覚がどうもよくわかりません。 ベトナム人がベトナムに住み、外敵を攻撃するのは単なる防衛で身分や名前は関係ないはずです。そして怖い(というかOOだな)と思うのは一定の割合の日本人の中に「アメリカだからヨシ!(しゃーない)」と脳に考えないバイパス回路を持っているのでは?という反応をすることです。

 (日本政府が国民を守る気が感じられないのは海外住みあるある?)

マクナマラの誤謬の嘘

戦争政策を主導したロバート・マクナマラ国防長官(1961.1~1968.2)は、ソンミ大虐殺が起きる直前に辞任をしています。数字に強かったマクナマラは「キル・カウント(敵殺害数)」を重視し、当初は「たくさん殺せばいずれ反抗は止む」という発想で戦争を推進していました。その後、現地の状況や戦争の実態に疑問を深め、戦争の継続に反対するようになりましたが、政権内で受け入れられず、最終的に国防長官を退任しています。

これについてはNHKが数年前に特番を作っているのですが、見た後で調べたらかなり嘘が多い、いつもの「キャラに責任を負わせて単純化」する内容だったので、また別にnoteしたいと思います。

画像
歴史は繰り返す? ヘグゼス国防長官
ペンタゴン(国防総省)内部の現役・元職員の間で、ヘグセス長官に対する皮肉な陰口として「Dumb McNamara(愚かなマクナマラ)」という呼称が使われているとか。

「チルい」の語源とIT産業のウラ

 
 
 
 

日本でポップ化した「チルい」という記号

チルい,チルは英語の chill で 本来は「冷たい」温度を表す単語です。カタカナ日本語では冷蔵庫の宣伝で「チルド(冷蔵)」という形で良く使われてきました。

しかし、現在の日本の若者が使う「チルい」や「チルする」という言葉は、非常にクリーンでポップな響きを持っています。2021年には三省堂の『今年の新語』で大賞を獲得し、辞書編纂者からも公認の日本語となりました。

メディアやマーケティング記事では、「SNSの常時接続に疲れたZ世代が、丁寧な暮らしや癒やしを求めて自然発生的に使い始めた」と表面的な説明がされがちです。
しかし、世界的には現在の定義として落ち着いたのは35年以上前の1990年、ヒップホップの名曲 ”Let’s Chill” の大ヒットです。

日本で広がったのは2010年代

90年代に一部の音楽好きのものだった「チル」が、なぜ2010年代になって大衆化(POP化)したのか。そこには言葉を「機能性商品」としてリサイクルした企業の動きがあります。

引き金を引いたのは、2016年にリラクゼーションドリンク「CHILL OUT」を発売したI-ne(アイエヌイー)であり、その火種を巨大な資本力と自販売網で全国にばらまいた日本コカ・コーラ(合同会社Endian)でした。

2020年頃から主に若者の間で再認識され、コロナの閉塞期を経てリラックスする言葉として急速に広がり辞書に乗るまでになります。 広がった背景には『ストレス』からの逃避、という実需があったことが伺えます。

Guy『Let’s Chill』(1990年)が定義したスラングChill

「チルい」という用法の出発点は、1980年代前半までの「Chill / Chill out」主にヒップホップ黎明期のスラング(「落ち着け」「クールになれ」という、喧嘩や興奮をなだめるニュアンス)や、英国クラブシーンの「レイブ後のクールダウン」という文脈が主流でした。一部界隈で限られた使われ方です。

これを「男女が親密な空間でまったり過ごす」の含意を世界に広めたのがテディー・ライリー率いるGuyの曲でした。

 

それまでの「Chill(冷やす、落ち着け)」というスラングを、「男女が親密な空間でまったり過ごす、極上のロマンティックな時間」という含意のある使われ方をするようになります。

ニュージャックスウィングの帝王テディ・ライリーが手掛けたこの楽曲は、「ストリートの緊張や暴力」から離れ、「部屋の灯りを消して、愛する人と2人だけで静かに過ごそう」と歌い、ビルボードチャートを席巻。
「Let’s Chill」のヒットは米ビルボード Top R&B/Hip-Hop アルバムチャート1位、収録アルバムである『The Future』(1990年11月発売)はプラチナディスク(100万枚以上の売上突破)となっています。

結果、スラングだったChillに、「メロウで、親密で、肉体的なリラクゼーション」というカルチャーとしてのコアなイメージを植え付けました。

ちなみに、この数年前にヒットしたアニー・レノックスのヒット曲「You Have Placed a Chill in My Heart」ではChillは「冷たさ・冷気」を意味するスタンダードな使い方で、寒そうな素振りをPVでも見せる切ないラブソングです。

この曲の翌年に発売されたDJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeの「Time to Chill」では「リラックスしようぜ」という意味で、大衆文化の文脈ではブラックミュージックがアメリカ文化を先導している(そして白人文化は相対的に保守的、ダサい)いたことが良くわかります。 The Fresh Princeはその後、俳優ウィル・スミスとして世界的に有名ですが、オッサンの時代にはこの時期にすでに人気者でした。ゆるい感じが好きで新宿の三平ストアの横のCD屋で買った覚えがあります😅

1980年代後半から1990年代初頭にかけてのアメリカ(特に黒人コミュニティが多かったインナーシティ)は史上最悪の治安悪化に直面、暴動も起きていましたので、クールなスラングというイメージのある “chill out” 流行のウラには、銃撃戦やギャングの抗争、警察の暴力(1991年のロドニー・キング事件などは有名)過酷なストレス環境からの『実需』があったのでしょう。

 

隠された背景:スマホ爆発と「IT業界」のデスマーチ

「チルい」が日本の若者に狂信的に受け入れられた本当の土壌は、iPhone登場(2008〜2010年)から約8年間にわたる、IT業界の激変にあると言われています。

スマホの爆発的普及に伴い、日本中でおびただしい数のアプリ開発、WEB制作、SNS運用の需要が湧き上がりました。そこで大量発生したのが、かつての「ソフト開発」やシリコンバレーのイメージにあるような天才エンジニアではなく、素人エンジニア」や「デジタル関連の作業員(コーダー、デザイナー、運用担当者)」という新たな労働階級(デジタル・ブルーカラー)と、頻繁なアップデートの締め切りに追われる「働き方の変化」でした。

大量の生産需要のために誰でも雇う、さらに誰でも作業可能なフレームワークが開発され、表面的な作業でも成果が出たように見えるようなったのはこの頃からです。さらに米国テック業界という「私企業」がソフトウェアやハードの仕様を早いサイクルで勝手に変更する技術の「資本主義化」が進みました。

結果として製品の都合以外に、スマホや利用OSなどのアップデートに合わせて頻繁に作業変更が行われるようになります。 24時間、深夜のシステムエラーや仕様変更のデスマーチに縛り付けられる構造が爆誕します。

リポDやレッドブルを飲み頑張り続けて「バーンアウト(燃え尽き)」が「物好きなパソコンオタク」ではない普通の人に強要される事になりました。

その次代を見て発売されたのが「チル系ドリンク」です。

「CHILL OUT」ドリンクが最初にプロモーションを仕掛けたのは、全国のお茶の間ではなく、まさに渋谷のコワーキングスペースやITベンチャーのオフィスでした。「もうエナジードリンクで無理に上げるな、これからはチル(弛緩)だ」というメッセージがk巨大テックの下僕であるスマホアプリ業界にインストールされたのです。

まとめ:

Z世代に限らず、日本で良く使われている「新しい言葉」は文化的な背景は薄く、「チルい」も自然発生した若者言葉というより、広告やメディアによって意味を与えられ、商品とともに定着した言葉と見ることができます。
そして透けて見えるのは、流行に乗っているように見える『感度が高い』人々が、実は広告汚染に脆弱な『弱い認知』を抱えていることです。(そして、日本の芸能文化の歴史を見ればこの層が主流です。)

「何を心地よいと思うか」「どう生きるべきか」という所まで広告に自由にコントロールされ、不要なものを交わされたり時間を消費させられる+無料の広告下請け業者ともいえ、いわば広告ゾンビなのかもしれません。

ホーチミン最大のゲームセンター

f:id:wash-fuel:20200301203017j:image

ホーチミンの中心から北に4kmにあるGIGA MALL。

日系のホムセンがあると言うので行ってみたのですが目的のものが見つからず、せっかくなのでウロウロしてみました。

f:id:wash-fuel:20200301203410j:image

日本ではありえない巨大なバイク駐輪場

f:id:wash-fuel:20200301203404j:image

建物はデカいけど空洞が多い海外によくあるスタイル。イオンモールもこんなのありますが空洞率では負けてます?
f:id:wash-fuel:20200301203407j:image

日系のメガネ👓屋さん

さんざん検眼してお金払ってから後で連絡が来て、ヤッパ作れないと返金。カード払いなのでキャッシングになっちゃったよ。

 

最上階がゲーセンとボーリング場🎳や映画館になってまして
f:id:wash-fuel:20200301203008j:image

昭和ー平成の懐かしい雰囲気
f:id:wash-fuel:20200301203000j:image

紙幣だけの国なのでメダルに交換して遊びます
f:id:wash-fuel:20200301202949j:image


f:id:wash-fuel:20200301202957j:image

壊れてるマシンも多く、打っても玉が出ないとか色々…
f:id:wash-fuel:20200301203012j:image

日本の製品が多いですがどうやら中国経由で中古が入ってきてる模様
f:id:wash-fuel:20200301202953j:image

メダル系はこちらでおもちゃに精算してもらえます
f:id:wash-fuel:20200301203004j:image

120ポイントから、ってなってましたが2000円くらい突っ込んで100キンの玩具がもらえるくらいの雰囲気

f:id:wash-fuel:20200301204136j:image

ベトナムで遊ぶランボー!

感慨深いものが…しかし2Pトリガーが壊れて遊べず。金返せ〜❗️
f:id:wash-fuel:20200301203012j:image

こんなチップが出ると交換用のポイントになったりするみたい?

ベトナムのバイク駐輪

ベトナムでバイクの免許がもらえて、生活の足として活用し始めましたがバイク・車の運用で交通ルールとは別に大きな問題は駐車場。

日本ではバイクの駐車場が無いのに一方的に駐車違反・罰金を厳格化したためにバイクのマーケットは瀕死。そりゃあ使えなんじゃ買わないですからね、相変わらずトンチンカン日本政府。

若者が車を買わない、乗らないと嘆いてますが、50cc=>250ccバイクなどを経て車の免許、という人も昔は少なくなかったと思いますし。まあ、後の祭りですけど。

 

ベトナムの話に戻すと、駐輪場は必ず整備されているのでバイクを乗って止める場所に困るということはまずありません。 労働者の8割がバイク通勤というお国柄、バイク駐輪場は最優先かつ必須のインフラなのです。

 

駐車場のパターン

- スーパーや大きなビルなどには必ず地下駐車場があり基本バイク用。

f:id:wash-fuel:20200113003453j:image
f:id:wash-fuel:20200113003458j:image

- 小さな商店にはガードマンがいて店の前の歩道スペースを牛耳りつつ、駐車を面倒見てくれています。 小さい商店は店の前の間口スペースが全てなことが多く広さがシビアなため、買い物をする店の前に止める必要があるので注意が必要です。

f:id:wash-fuel:20200113003611j:image

停めると渡されるお札。料金は一度につき2000-5000vnd程度。

f:id:wash-fuel:20200113003614j:image

商店の前にはバイクあり。

 

- アパートや地方のホテルなども1Fがバイク駐輪場として確保されていることが多いです。

特にアパート・住居はホボそんな感じ。逆に無い建物は考えられていない時点でカツカツなのであまりよろしくないと感がたほうが良いかも。

 

また市中にはこれらとは別に独立した駐輪スペースもたまにあり、特に大きなオフィスビルなどのそばには多すぎる需要やお客さんが使う市営駐車場が営業していたりします。

 

駐車の方法

小さな商店やレストランでは番号札を渡されて、それを見せるとガードマンがホレこれな、と出庫を許可してくれるタイプがあります。番号と符合するようにバイク自体にチョークで番号を問答無用で書かれます(汗

f:id:wash-fuel:20200113003220j:image
f:id:wash-fuel:20200113003225j:image

(こんな)

 

 

また、少し良いレストランだと番号札に鍵がついていて、チェーンロックでバイクを安全確保するようになっているお店もあります。

 

大きな市営駐車場の入り口やビルなど施設では、カメラ付きのエントリーシステムがあることが多く、バイクのナンバーを撮影し、利用者に渡す引き換え用ICカードと紐付けて、盗難を防ぐようになっています。

バイクの盗難はかなり多く、現地の人は気を使っているようです。

 

車の駐車

こちらで車で乗り付ける人は億万長者級の人が少なくないため、係の人が預かり所定のところへ駐車・保管してくれるパターンと店の前に堂々と止めちゃうパターンが多いようです。

 

というわけでバイク天国なベトナム。

バイク=不良、というステレオタイプが未だに抜けない日本と比べると本当にバイク乗りには居心地が良いです。

 

 

 

 

EMSでベトナムに送る時の税金

先日、日本の知人からクリスマスプレゼントを送っていただいた時に税金$80をベトナム郵便局に請求されましたので、税金についてちょっと調べた良い記事が出てきましたので書いておこうと思います。

 


要点はEMSを送る時のインボイスに合計で$50以上と書かれているかどうか。

 

- 免税金額:ギフトの価値が100万ドン(50ドル)程度以下なら税金無し.
- 100万ドンを超える場合:税金が5万ドン(200円)以下であれば免税です.

とのこと。

 

渡しの場合、$200と書かれていたので35%その他で$80程度になった模様。。。。$80って40杯くらいPhoが食べられるんですが・・・恐ろしい!

 

st.saigonphoenix.com

 

安く書いたら保険が効かないじゃん!っという話もありますが現実的によく考えて書かないと送られた相手が迷惑をしますのでよく考えてからインボイスを記入しましょう(笑 

 

 

日本からプレゼントや自分の私物を送ってもらう時に皆さんはどうされてるのでしょうか?
良い方法があれば教えて下さい〜。

ホーチミンではkebabレストランにご用心

移民が多い国の人は訳ありなのでトラブル率も高くなり偏見に繋がりやすいと言うことはあるのでしょうが、面倒事を避ける知恵としてやはり避けた方が良い場合もあるでしょう。

周りの人に聞いても、既に書いたお金見せて詐欺は中東系・インド系と思われる人たちが圧倒的に多いのは事実。

 

そんな情報交換をしていてやばそうな話をキャッチ。ベトナムの飲食は基本が安いので警戒怠りがちですが、ハノイではホアンキエム周辺のビアバーは市中の5倍くらいの値段でどうでも良いビール出す店も普通にあります。

 

トルコレストランなども危ない店があるようで、店によってはタイやカンボジアのバイト姉さんをサクラに使って店に引き込むんだとか。怖〜っ。

 

ベトナムにはたくさん良心的なお店があるので無理して怪しい店に行くのはやめましょう〜。